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~ 論文 ~



みそ汁の作り方  2018/02/04(日)
マクロ経済とミクロ集合体  2018/01/03(水)
エクスプレッショニズム  2017/12/29(金)
医療系の管理職がしている事  2017/12/26(火)
貧困と言う問題に関して  2017/12/25(月)
情報が感情に及ぼす影響について。  2017/12/25(月)
料理の味付け理論  2017/11/28(火)
甘味料を控えるという技術  2017/11/25(土)
アートの認識方法について  2017/11/05(日)
和カレーの作り方  2017/10/07(土)


みそ汁の作り方
味噌汁というのは、鮮度が肝心であり、味噌が死んではならない。
そして、味噌で味を付けるスープと言う考え方はタブーである。

つまり、だしの時点で、味がしなくてはならず、塩分を入れないそのだし汁に、味を敏感に察知しなくてはならず、味を加えて、みそ汁の全味量を付加しようとしてはならない。

だしの次に重要なのは、素材の煮汁の事であり、野菜の湯出しの繊維質のだしがさらに付加されて、みそ汁の基盤風味を作り出す。

つまり、だし汁と、具・素材のだしが合わさっている状態に、少量のみそを加える概念で、食卓に提出する。

味噌は発酵されたものであるので、その有効なヴァクテリアを死滅させてはならない。

なので、日本料理の中でも、インスタントであるが故に、その鮮度が大事なのである。
Date: 2018/02/04(日)


マクロ経済とミクロ集合体

巨大な資本が動くときがある。

そして、それに付随し、ミクロ達の連鎖がある。

ビッグマネーは主導と副導を繰り返し、調整するが、マネーの本質上、国家が管理体制を持っているとはしても、それぞれの、財布が現場であり、各GDPを基に、また各個人の所有とするマークカランシーの一部ずつが、経済の全体を成している。

企業の含める流動性マネーに関しても、規模は個人より大きいが、それを扱う意思がある限り、その所有による法人的格作用の大きさがある。

よって、国家規模の扱う、セーフティマネー+フレキシブルインディヴィデュアルの両益こそが、経済の目指すべきあり方になる。

そして、経済を不良へいざなおうとするあらゆる思想的・概念的な諸悪に対し、国家は道徳を国民に詰めなくてはならず、緊急時には警察が出動しなくてはならない。

これは、マクロマネーの善的意味合いに対し、世界のミクロズ/世界のマネー総量の分数がどう動くかと言う、巨大な縮図の中に、位置される経済学問である。
Date: 2018/01/03(水)


エクスプレッショニズム

エクスプレッショニズムという概念の元に、人間の表現と言うかたちを再考したい。

表現と言うものを、論理的な言語もしくは言語に近いもので、整合状態にて、繰り出すことを旨とするのであれば、商用のコピーや、ある種の指令系統に関する事項には有効な表現手段となる。

エクスプレッショニズムにおける、表現学は、現実を直接・暗喩にて、表現することを指針とし、人間関係学における防護性をもてば、そのあえての表現をも可能とすることになる。

エクスプレッショニズムを基に、芸術表現・人間関係学の中における表現方法をもたげることは、事実国家の繁栄に従う。

Date: 2017/12/29(金)


医療系の管理職がしている事
医療系という職業は、扱っている作業の対象が人体となる。
そして、先生と言う立場が露骨になっているために、また、薬を処方するが故に、治してやっているという、意味の見当違いな職当たりとなる。

実際は、患者本人の自然治癒力なのであるが、薬をあてがったり、手術をしてやっているという、そして、人間をモルモットのように、検査したり、見下したりすることを常としている。

一個の人間として、人間に接する術もしらない。
一般社会人は、一般の中の人間関係の雰囲気と、自らの市民世界での立場を知っているが、医療系管理職は、狭い範囲内だけの、高給取り・取らずを含めて、患者の社会関係学を知らない。

医療と言うのは、患者が社会復帰を目指すことにあるが、その社会全体に対して、正当で、妥当な見解を持っている、医療系の人間が少ない。

そして、医師会という腐った仕組みにより、経営と言うことを知らない。

一般企業がどれだけ集客とリピートシステムに汗水垂らして、仕事をしているかも知らない。

要するに、医療系管理者は、幼稚であり、常に偉そうでなくてはならないのだ。

それは、先生と呼ばれなくなると、仕事を失うからである。
Date: 2017/12/26(火)


貧困と言う問題に関して
所謂、貧困層の上に立つ人たちはいつの時代も存在する。

このことに、社会問題として取り扱うケース・
そして、個人の責任と問題として扱うケース・
それから、複合的な責務として未来に定義するかたち。

理論的に展開される要素はさまざまにある。

ただ一つ、戦争で貧困が増えるという事にだけは、国家は危機的な状況と、警笛を発し続けなくてはならない。

文化の側面で、また精神医療上の話で、貧困層の問題として、貧困のテーゼとして、揶揄されることはあるが、果たして、貧困が相対的なプロブレムを抱えているというのなら、それはなくなりはしないだろう。

宗教学的な問題で、慈善というミーニングがある。
だが、それも、ほんの一部の人たちの仕事である。

わたしたちが、人に与えるということを学問しなければ、
そして、物の移動や、金銭の供諾ということに、その事後も認識と言う問題を正式に取り扱わなければ、貧困層の問題は無くならない。

なぜなら、貧困と言う問題の裏側に、そうならざるを得ないような、個人的責務が見え隠れするのだから。
Date: 2017/12/25(月)


情報が感情に及ぼす影響について。
情報を人が閲覧するときに、人は脳内に快楽を感じる。

これらの情報は、認知するための情報と言うより、時事・イシューに根差した事柄に関していて、最近の電子機器技術のコマースもこのように仕組まれている。

あえて、有効情報と言う意味において、価値をこの記事では網羅はしないが、果たして有効でない情報にさえ、人はあえてそのような情報に愉悦を感じるのである。

これは、現代における芸能の領域、そして産業の意味の無い噂、そして、知人の類による情報交換が基礎となっている。

今現代以前では、ラジオ・スポーツ新聞・雑誌・固定電話・手紙であった。

それが、現代電子機器における領域に触手と脚を伸ばした結果が、電子端末の画面上の出来事になっている。

そして、情報と言うのは、見た瞬間、若しくは閲覧していくらか期間が経つと、削除されなくてはならない。

この、削除されなくてはならない情報、これらは、ヴァリューの問題とは別体にあり、あえて、価値ある情報には問題ごとが隠されているため、人は好んでは見ない。

価値ある情報にはいわゆる儲け話という側面が隠れている。
ただし、これは有識者にとっての話である。

そして、産業のメディア系が、それ以外のデリートインフルエンスという情報に、始終したとはいえ、それは産業の中の一枠であることが、無意味な大衆の価値基準であるのか、それとも、国家の文化の中にあるのかは、中レベル以上の識者が判定しなくてはならない。

このなかで、中以上の識者とは、社会人であり、会社員である人たちであることは、言うまでもないだろう。
Date: 2017/12/25(月)


料理の味付け理論
料理に於いて鉄則なのは、素材の味である。
これを極めれば、素材の生に対し、塩だけで良いことになる。
元来、採れたてのものに、塩だけが一番うまいのである。

そして、家庭寮に関してであるが、それはおかず理論というものがある。それはご飯を口に運ぶための理由であり、それは、料理の定則ではない。
お弁当であれば、それはしがないご飯を口に運ぶものなので、おかず味付け、要するに、ご飯を口に運ばないといけない塩分の量と、塩の量になる。

しかし、これは食卓に並ぶ料理ではない。
そして、店舗の濃い味付けでさえ、飲料を買わせるためのものなのだ。

本来の料理は、炭水化物を口に運ぶ必要のないものであり、ちょうど、中華の高級コースにご飯がないのと同じである。

ワンプレートであれば、麺類で大量の炭水化物を入れても良いが、いわゆる料理を愉しむためであれば、基本的にご飯は要らない。

では、ご飯を必要とする食卓とは何か。
それは、素材の味を愉しむため。要するに、素材の味を切る為にご飯を口に入れる。ご飯の盛方は少なめで済むのだ。

そして、量を摂る必要がなくなる。なぜなら、素材の味を楽しむのが、食卓であるからである。

つまり、現代の加工食品の中でも、素材の味を消してしまうまでの、調理法、つまり加工調味料の量の入れすぎは、禁断であり、その結果の成人病の類が発生している。

ご飯は、口をゆすぐものではなく、料理の皿ごとの味を切るためのものなのだ。
Date: 2017/11/28(火)


甘味料を控えるという技術
甘味料を控えた料理は、古来のものと言える。

それは、人工甘味料以外にも妥当であり、旧来より人間はその使用を果物に頼ってきた。

甘味を料理に加えるのは、その同一的嗜好性によるもになっていて、人間は砂糖類を摂らなくても生きていける動物であり、その飼いならされた状態が、人間を糖類への渇望に仕立て上げている。

元来糖類と言うのは、飴玉のように、脳に直接リラックス効果を与えるものであり、料理に加えるべきではない。

それは、同一的舌上嗜好性、ステレオタンニングである。

そして、糖類を必要とされる以上に摂るもの、それはケーキ類や、高カロリーのお菓子となる。

それ以外に於いて、人間世界が糖類を料理に混ぜた時代は、古今東西存在しないだろう。

それは、近現代の製糖技術の為せる業だった。
Date: 2017/11/25(土)


アートの認識方法について
テキストでの認識は、高域知識者から、ある程度の同国言語認識者に至るまで、同様の認識知見は適当に該当できる判明基準はあるだろう。
だが、文字列以外の、認識方法。例をあげると、フィーリングで認識しやすい、感覚芸術としての音楽や平面芸術は、その構造力学まで認識されにくい運命にある。

テキストの認識法は、言語の単語が基になっているが、とくに音声関連の事であれば、その音声の基準言語が構成学にまで、認識の及ばない人々がほとんどであろう。

芸術の認識されにくい仕組みについては、芸術家にとってみれば、憂慮の対象でしかないが、認識論自体で言えば、二流アーティストの稼ぐ方法でしかない。

そして、大衆がフィーリング認識を下す、様々な作品の様式の中においても、視覚的、脳内認識的に、認知学としてまたは数式力学において、理解をするという技術を、芸術家が持っているのなら、それは、芸能をやる上での前提条件だと言える。

特に、感覚だけで済む大衆は消費者と呼ばれるが、つくっているほうのアーティストが、構造力学まで読めるくらいの力量がないことには、憂慮以下の評価と言える。
Date: 2017/11/05(日)


和カレーの作り方

 大鍋を熱し、水を中域まで入れて、昨晩の煮物(なんでもいい)を落とし込む。

 かぼちゃをスライスし、入れ込む。
 フルーツ甘み系を入れ込む。

 塩小さじ二杯。味噌大さじ一杯。ショウガ多め。コショー適度。醤油少々。かつお節少々。

 鶏肉を厚切りスライス、入れ込む。

 あと、酒(リキュール系&果実系)多め。

 以上。茶色くないカレーライスの出来上がり。
Date: 2017/10/07(土)


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