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〜 論文 〜



2018/6- 起動音/終了音  2018/06/17(日)
新しい資本主義の存在意義。  2018/06/12(火)
ユビキタス性能と同時認知システム  2018/06/10(日)
芸能の理由  2018/05/11(金)
薬事法違反行為に関し  2018/05/01(火)
約束と企業連携としての契約  2018/04/27(金)
みそ汁の作り方  2018/02/04(日)
マクロ経済とミクロ集合体  2018/01/03(水)
エクスプレッショニズム  2017/12/29(金)
医療系の管理職がしている事  2017/12/26(火)


2018/6- 起動音/終了音
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Date: 2018/06/17(日)


新しい資本主義の存在意義。
資本主義の命題とするところは、資本を蓄える事にある。企業はそれを利潤と呼び、個人ではそれを資産と呼ぶ。
その結果として人類社会がどうなるのかは、あえて、ポンペイの火山灰の跡をみると良くわかる。

人間が快楽に依存した意識をもっているということは、あえて、資本主義の原動力となったことは、言うまでもない。それは、近現代だけではなく、かつての国々もそうであっただろう。

それは、労働に対する対価として、その結果国全体として、その資本を蓄積する結果にあるのだが、それが、人生での目標になるかといえば、それは分からない。

結局、人間がしあわせというものを望んでいることと、それが得られない事での困窮と、犯罪の加えるほうに回ってしまうことは、否めない。だが、貧困問題というのは、いつの時代も研究されていて、一緒くたに、国家が蓄積する資本だけでは解決できない。

そのために、江戸時代にはよく働く思想として、儒教があり、あえて仏法の別の箇所に労働を奨励する言句がある。

労働の対価として、金銭を得、生活をしていくことは、あえて資本主義の考え方ではなく、古来より良性とされる規範であり、それは宗教色の中にはあえて余り書かれていない。

資本主義の今後の在り方として、その意義に何があるのかという価値基準は、ひとそれぞれのものだが、労働イコール収入とする、あたりまえの考え方の普及・啓蒙には国家は勤しんだ方がいいだろう。

資本主義とは、お金を愛する事とは違う。それは、何かの為になるという意識は、各事業家が考える事であり、その結果の資本投下が、国家の枠組みの中で、豊かさを覚える要素となっていく。

国は、労働を税収上義務としているが、その労働の勧めを波及させるために、その資本の行く末がどのようなパターンで、国民に転嫁されているか研究すべきだ。

産業の組み立ては、私企業が淘汰されながら行っていくのであるが、資本主義の企業がどう現代社会にインパクトと、富の普及を推進しているかによって、その事業家の意向と労働者の働く活力に関して、提言をまとめると良い。

それは、産業別のテーマであるが、私企業の性格により、ことなった、色を出すところに、国家が研究対象とする企業群と国民性の文化度というテーマが研究対象となる。

国家の役割は何もない。ただ、啓蒙・教育の観点から、働くことが喜びになるという基礎を、現代技術がいかに伸ばしているのかを、対象とすべきだ。

それは、国民性に依る価値観のそれぞれや全体と深くかかわり、それらの国民の一人一人の趣向に合わせて、展開されている。

国家の資本主義に対するしごととは、国内の産業・知識・パラダイム・観点をよく研究し、悪いように資本が使われないように見張るだけで良い。

あえて、主義・主張の行き過ぎた、資本欲求は国家を腐らす。

                      T.HOMBU
Date: 2018/06/12(火)


ユビキタス性能と同時認知システム
ユビキタス性能を進歩させると、通信状況の整備が必要になる。通信状況には、安全の意も含むが、通信システムにおける、同時認知性というターゲットでは、多くの端末が未登地としている。

シンプルであり、便利であることを目的とする端末業界になるが、技術的なタッチ性能は、随時上がっていくとしても、その集団的・組織的な業用のターゲットでは、やはりソーシャル・コミュニケーションの円滑化と同時に行われなくてはならない。

これは、伝統的な電話連絡による業行取引とは違っていて、即時性能と呼ばれるものになる。つまり、業務取引における時間短縮を、即時性における認知により、短略化することができるのである。

このことにおける、産業のスペースは、コスト削減と、電力削減を狙う事ができ、余った時間を人は余暇に使用することができるだろう。

産業の牽引が、その余った資本と技術の中で、市民社会におけるコミュニケーションの簡便化、そして端末技術性能の浸潤に今後の未来展開がされると、技術的端末に何を搭載すべきかが見えてくる。

ただし、組織内コミュニケートには、その色・風があるために、その仕様となる。もし、円滑さの無い人間関係には、何を提供しても無駄なことは見えている。

                      本部琢己。
Date: 2018/06/10(日)


芸能の理由
芸能というのは、本来一般人でない当人が、一般人と同種であるかのように、芸能を繰り広げる特殊なステージである。
そのステージでは、民間人からの不評が当人にとっての職の減衰になる恐れがあるので、その為に、好評を博することを銘打つことになる。

この好評を博するという意味は、受けを狙うという意味ではなく、大衆への博愛であり、多少のフェイクショーにもなり得るのだが、実際は芸能として嘘をついてはならない。大衆は嘘を見抜く。

その為に、ステージに立っている際に、なにかの役になりきるという事は、俳優や部隊演技における常識である。

その常識とは、本来の素の自分ではない誰かが自分の中に存在していることを意味する。しかし、そこではその職能により、多重人格とも呼ばれる心配はない。

要するに、仕事を被写体とされる仕事は、ステージ上の演技と呼ばれるが、そこに虚偽がない時点で、俳優の本人は自分以外の誰かをイメージングにより想像できる、クリエイティブ・アーティストと認識される。

これは、伝統芸能でも同じであり、その伝統の訴えてきた人物像の型になりきらなくてはならない。時間を要する果てしない闘いが、ステージ上の芸人当人に行われるのである。

もし、どぎつい個性が出てしまうのであれば、それは大衆に忌み嫌われる、一般人の一人として、ステージ上からこき降ろされるであろう。
Date: 2018/05/11(金)


薬事法違反行為に関し
病気に関して、現行法による薬剤の販売は、その効用を表記して問題ないという法律がある。
純正なる科学的見地に依る、実証性の確かめられた国家の指定する基準内に該当するものは、法的手続きを取り、申請の結果認められればその公の世界において販売を認められる形式は存在している。
そして、その実証性のありかは、薬剤以外においても認められる情報は存在しているが、公の公示においてそれは法律により許されていない。

そして、現行の西洋医学つまり化学式記号法に依る薬剤開発の諸問題として、その効果が疑わしいものに関しては、ジェネリック医薬品の台頭及び、企画開発の更新によって、淘汰される意味は常も存在し、悪徳商法に限ってはPOLICEの法的執行権をもって処断されなくてはならない。
また、POLICEの権限が向こうにより適用されない場合は、法の準備と純正なる施行権限をもって、各国家の命じる法的議決権をもつ参与委員を通して、議決され法を実施しなくてはならない。

また、人が望むことの要因として、生病労苦の諸問題に関し、人は渇望的視野をもって、これらの糾問を常ならむ状態で、表現の門とするが、その渇望的所野に関しては、哲学的命題への解答をもって対応とする。

その意味は、人は死ななくてはならないことを、認めるべきであり、結局それ以外の範疇は、人が死後どうなるのかという、宗教学の扱う分野になる。 

     以上。             本部琢己。
Date: 2018/05/01(火)


約束と企業連携としての契約
企業の性格として、儲けを主眼でやり、その実数を公開しなく、適度なカモフラージュにより営業益を稼ごうとするやり方がある。たとえば、実際は、大量でも、少量購入を希望している風に見せるやり方。他は、広告において、負担の少なさそうに見せて、実際は大量に金銭を要求するやり方。

これは、企業内の人柄に依る。つまり、顧客との約束を守ろうとするか否か。そして、企業同士における約束手形の有り無しの問題としてある。

人をだますような人間が会社にいる場合、適当な会社の営業となり、多少の嘘をもって、営業益を重ねようとする。その企業が銀行側からの請求に対し、適当なことで対応しているのは、事実だろう。

その際、人間の約束という哲学的命題をもって、企業は策定しなくてはならない。
約束を守らないから、契約違反。そして、犯罪へと赴き、刑法発動となる。

民事争いにも発展しやすい、人間の約束事柄違反は、往々にして、そのような人材で構成される企業群にある。

人間の信頼を裏切らないことに徹する企業は、大企業になれるチャンスがある。

ただ、人間の道徳心として、嘘をついていきていることが、自らにもわるいと見えていない悪性人間が、営業益を求めようとしても、銀行対応すらおぼつかないのは想像できる。
Date: 2018/04/27(金)


みそ汁の作り方
味噌汁というのは、鮮度が肝心であり、味噌が死んではならない。
そして、味噌で味を付けるスープと言う考え方はタブーである。

つまり、だしの時点で、味がしなくてはならず、塩分を入れないそのだし汁に、味を敏感に察知しなくてはならず、味を加えて、みそ汁の全味量を付加しようとしてはならない。

だしの次に重要なのは、素材の煮汁の事であり、野菜の湯出しの繊維質のだしがさらに付加されて、みそ汁の基盤風味を作り出す。

つまり、だし汁と、具・素材のだしが合わさっている状態に、少量のみそを加える概念で、食卓に提出する。

味噌は発酵されたものであるので、その有効なヴァクテリアを死滅させてはならない。

なので、日本料理の中でも、インスタントであるが故に、その鮮度が大事なのである。
Date: 2018/02/04(日)


マクロ経済とミクロ集合体

巨大な資本が動くときがある。

そして、それに付随し、ミクロ達の連鎖がある。

ビッグマネーは主導と副導を繰り返し、調整するが、マネーの本質上、国家が管理体制を持っているとはしても、それぞれの、財布が現場であり、各GDPを基に、また各個人の所有とするマークカランシーの一部ずつが、経済の全体を成している。

企業の含める流動性マネーに関しても、規模は個人より大きいが、それを扱う意思がある限り、その所有による法人的格作用の大きさがある。

よって、国家規模の扱う、セーフティマネー+フレキシブルインディヴィデュアルの両益こそが、経済の目指すべきあり方になる。

そして、経済を不良へいざなおうとするあらゆる思想的・概念的な諸悪に対し、国家は道徳を国民に詰めなくてはならず、緊急時には警察が出動しなくてはならない。

これは、マクロマネーの善的意味合いに対し、世界のミクロズ/世界のマネー総量の分数がどう動くかと言う、巨大な縮図の中に、位置される経済学問である。
Date: 2018/01/03(水)


エクスプレッショニズム

エクスプレッショニズムという概念の元に、人間の表現と言うかたちを再考したい。

表現と言うものを、論理的な言語もしくは言語に近いもので、整合状態にて、繰り出すことを旨とするのであれば、商用のコピーや、ある種の指令系統に関する事項には有効な表現手段となる。

エクスプレッショニズムにおける、表現学は、現実を直接・暗喩にて、表現することを指針とし、人間関係学における防護性をもてば、そのあえての表現をも可能とすることになる。

エクスプレッショニズムを基に、芸術表現・人間関係学の中における表現方法をもたげることは、事実国家の繁栄に従う。

Date: 2017/12/29(金)


医療系の管理職がしている事
医療系という職業は、扱っている作業の対象が人体となる。
そして、先生と言う立場が露骨になっているために、また、薬を処方するが故に、治してやっているという、意味の見当違いな職当たりとなる。

実際は、患者本人の自然治癒力なのであるが、薬をあてがったり、手術をしてやっているという、そして、人間をモルモットのように、検査したり、見下したりすることを常としている。

一個の人間として、人間に接する術もしらない。
一般社会人は、一般の中の人間関係の雰囲気と、自らの市民世界での立場を知っているが、医療系管理職は、狭い範囲内だけの、高給取り・取らずを含めて、患者の社会関係学を知らない。

医療と言うのは、患者が社会復帰を目指すことにあるが、その社会全体に対して、正当で、妥当な見解を持っている、医療系の人間が少ない。

そして、医師会という腐った仕組みにより、経営と言うことを知らない。

一般企業がどれだけ集客とリピートシステムに汗水垂らして、仕事をしているかも知らない。

要するに、医療系管理者は、幼稚であり、常に偉そうでなくてはならないのだ。

それは、先生と呼ばれなくなると、仕事を失うからである。
Date: 2017/12/26(火)


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