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〜 論文 〜



貧困と言う問題に関して  2017/12/25(月)
情報が感情に及ぼす影響について。  2017/12/25(月)
料理の味付け理論  2017/11/28(火)
甘味料を控えるという技術  2017/11/25(土)
アートの認識方法について  2017/11/05(日)
和カレーの作り方  2017/10/07(土)
人の目的計画とその脳回路について  2017/09/24(日)
分類法。  2017/08/25(金)
Cyber空間の今後  2017/08/21(月)


貧困と言う問題に関して
所謂、貧困層の上に立つ人たちはいつの時代も存在する。

このことに、社会問題として取り扱うケース・
そして、個人の責任と問題として扱うケース・
それから、複合的な責務として未来に定義するかたち。

理論的に展開される要素はさまざまにある。

ただ一つ、戦争で貧困が増えるという事にだけは、国家は危機的な状況と、警笛を発し続けなくてはならない。

文化の側面で、また精神医療上の話で、貧困層の問題として、貧困のテーゼとして、揶揄されることはあるが、果たして、貧困が相対的なプロブレムを抱えているというのなら、それはなくなりはしないだろう。

宗教学的な問題で、慈善というミーニングがある。
だが、それも、ほんの一部の人たちの仕事である。

わたしたちが、人に与えるということを学問しなければ、
そして、物の移動や、金銭の供諾ということに、その事後も認識と言う問題を正式に取り扱わなければ、貧困層の問題は無くならない。

なぜなら、貧困と言う問題の裏側に、そうならざるを得ないような、個人的責務が見え隠れするのだから。
Date: 2017/12/25(月)


情報が感情に及ぼす影響について。
情報を人が閲覧するときに、人は脳内に快楽を感じる。

これらの情報は、認知するための情報と言うより、時事・イシューに根差した事柄に関していて、最近の電子機器技術のコマースもこのように仕組まれている。

あえて、有効情報と言う意味において、価値をこの記事では網羅はしないが、果たして有効でない情報にさえ、人はあえてそのような情報に愉悦を感じるのである。

これは、現代における芸能の領域、そして産業の意味の無い噂、そして、知人の類による情報交換が基礎となっている。

今現代以前では、ラジオ・スポーツ新聞・雑誌・固定電話・手紙であった。

それが、現代電子機器における領域に触手と脚を伸ばした結果が、電子端末の画面上の出来事になっている。

そして、情報と言うのは、見た瞬間、若しくは閲覧していくらか期間が経つと、削除されなくてはならない。

この、削除されなくてはならない情報、これらは、ヴァリューの問題とは別体にあり、あえて、価値ある情報には問題ごとが隠されているため、人は好んでは見ない。

価値ある情報にはいわゆる儲け話という側面が隠れている。
ただし、これは有識者にとっての話である。

そして、産業のメディア系が、それ以外のデリートインフルエンスという情報に、始終したとはいえ、それは産業の中の一枠であることが、無意味な大衆の価値基準であるのか、それとも、国家の文化の中にあるのかは、中レベル以上の識者が判定しなくてはならない。

このなかで、中以上の識者とは、社会人であり、会社員である人たちであることは、言うまでもないだろう。
Date: 2017/12/25(月)


料理の味付け理論
料理に於いて鉄則なのは、素材の味である。
これを極めれば、素材の生に対し、塩だけで良いことになる。
元来、採れたてのものに、塩だけが一番うまいのである。

そして、家庭寮に関してであるが、それはおかず理論というものがある。それはご飯を口に運ぶための理由であり、それは、料理の定則ではない。
お弁当であれば、それはしがないご飯を口に運ぶものなので、おかず味付け、要するに、ご飯を口に運ばないといけない塩分の量と、塩の量になる。

しかし、これは食卓に並ぶ料理ではない。
そして、店舗の濃い味付けでさえ、飲料を買わせるためのものなのだ。

本来の料理は、炭水化物を口に運ぶ必要のないものであり、ちょうど、中華の高級コースにご飯がないのと同じである。

ワンプレートであれば、麺類で大量の炭水化物を入れても良いが、いわゆる料理を愉しむためであれば、基本的にご飯は要らない。

では、ご飯を必要とする食卓とは何か。
それは、素材の味を愉しむため。要するに、素材の味を切る為にご飯を口に入れる。ご飯の盛方は少なめで済むのだ。

そして、量を摂る必要がなくなる。なぜなら、素材の味を楽しむのが、食卓であるからである。

つまり、現代の加工食品の中でも、素材の味を消してしまうまでの、調理法、つまり加工調味料の量の入れすぎは、禁断であり、その結果の成人病の類が発生している。

ご飯は、口をゆすぐものではなく、料理の皿ごとの味を切るためのものなのだ。
Date: 2017/11/28(火)


甘味料を控えるという技術
甘味料を控えた料理は、古来のものと言える。

それは、人工甘味料以外にも妥当であり、旧来より人間はその使用を果物に頼ってきた。

甘味を料理に加えるのは、その同一的嗜好性によるもになっていて、人間は砂糖類を摂らなくても生きていける動物であり、その飼いならされた状態が、人間を糖類への渇望に仕立て上げている。

元来糖類と言うのは、飴玉のように、脳に直接リラックス効果を与えるものであり、料理に加えるべきではない。

それは、同一的舌上嗜好性、ステレオタンニングである。

そして、糖類を必要とされる以上に摂るもの、それはケーキ類や、高カロリーのお菓子となる。

それ以外に於いて、人間世界が糖類を料理に混ぜた時代は、古今東西存在しないだろう。

それは、近現代の製糖技術の為せる業だった。
Date: 2017/11/25(土)


アートの認識方法について
テキストでの認識は、高域知識者から、ある程度の同国言語認識者に至るまで、同様の認識知見は適当に該当できる判明基準はあるだろう。
だが、文字列以外の、認識方法。例をあげると、フィーリングで認識しやすい、感覚芸術としての音楽や平面芸術は、その構造力学まで認識されにくい運命にある。

テキストの認識法は、言語の単語が基になっているが、とくに音声関連の事であれば、その音声の基準言語が構成学にまで、認識の及ばない人々がほとんどであろう。

芸術の認識されにくい仕組みについては、芸術家にとってみれば、憂慮の対象でしかないが、認識論自体で言えば、二流アーティストの稼ぐ方法でしかない。

そして、大衆がフィーリング認識を下す、様々な作品の様式の中においても、視覚的、脳内認識的に、認知学としてまたは数式力学において、理解をするという技術を、芸術家が持っているのなら、それは、芸能をやる上での前提条件だと言える。

特に、感覚だけで済む大衆は消費者と呼ばれるが、つくっているほうのアーティストが、構造力学まで読めるくらいの力量がないことには、憂慮以下の評価と言える。
Date: 2017/11/05(日)


和カレーの作り方

 大鍋を熱し、水を中域まで入れて、昨晩の煮物(なんでもいい)を落とし込む。

 かぼちゃをスライスし、入れ込む。
 フルーツ甘み系を入れ込む。

 塩小さじ二杯。味噌大さじ一杯。ショウガ多め。コショー適度。醤油少々。かつお節少々。

 鶏肉を厚切りスライス、入れ込む。

 あと、酒(リキュール系&果実系)多め。

 以上。茶色くないカレーライスの出来上がり。
Date: 2017/10/07(土)


人の目的計画とその脳回路について
ヒトはなにかの目的を持つ。そして、それを成就するために、一生の間に企てを建てる。その企画の意味について触れるが、ヒトの脳は固定された方法に執着しようとし、それを離れられない脳内電流箇所過剰状態に陥る。

それが犯罪である場合、理性を犯し、そして現実判断能力を錯誤される事により、人間本来の自然界における感覚反応の正常さを失う。

それが、順犯罪である場合でも、理性を鈍らせることは同じで、人間としての脳的及び身体的な基礎能力を損なわせる。

固定化された、方法を脳内にもたげることは、人間の脳内・身体的、動的可能性を委縮させ、正常な身体への神経的作用性を鈍化させる結果、老化を激しくさせる。

自然界や、人間の社会環境は常に変応し、それに対応する動物としての人間は、即時の判断を常に迫られているが、それを十分に知っているのは、野生に生きる動物のみと言えよう。

そして、人間の脳の中に、パターン化された方法の図式構造が、埋没された理解や、認識能力そして、身体的健康を損ねる結果になるわけだが、人間のソーシャルライフにおいても、その各スキルとパワーステージに於いて歴然とした格差を従来より産んでいる。
Date: 2017/09/24(日)


分類法。

 分類に対し、知識と見解が必要と言える。

 分類を階層式にするのは、現代の蔓延しているコンピュータ関係のはなしだが、それをツリー式と言う。

 はたして、一般家屋内で、ツリー式にまでして、所持物を保管する人がいるだろうか。恐らく皆無であると思う。

 なので、一般家屋内での所持物の整理は、散在性整理型に適用すべきと考える。

 PC内の整理に関しては、フォルダツリー式。もしくは、昨今のクラウド整理型がある。

 そのフォルダツリー式のやりかたを、CDのラベリングに、展開すると、その保存当時の年代月日時刻形式ではなく、ジャンル×その時期のメインテーマ×セキュリティ様式 に、分けることができる。

 これは、わたしの分類方法だったのだが、音楽のジャンルは、CDのフィルム型連盤ジャケットの見える位置に、ミュージックテーマを書いている。ただし、重複するテーマジャンル場合もあるので、CDメディアは他のケースに移動する場合もある。

 その際は、自らのそのCDの楽曲が今の時期、他テーマへ移動したことを意味する。

 例示すると、過去においてテクノ様式だったものが、ライブ様式に代わっていることである。

 これは、個人的な判断と言うより、時代に沿った自らの分類形式に合わせたやり方なので、過去の分類法が、新様式に変わった証し。

 PCのフォルダ型にすれば、わたしは、時期の日付ではなく、古いデータに関しては、日本語で書く。

 例示:過去の記録。

 そのようにすると、意味が込められ、一目でわかり、ほとんど開かなくて済む。

 いわゆる、お箱入りの状態で、英語ではclosedを意味している。
Date: 2017/08/25(金)


Cyber空間の今後
サイバー空間の中で、コミュニケーションツールとしてインターネットラインを利用する仕組みは、その始まりより、依然変わっていない。

 それは電気的信号のつながりであり、空間をモニター上に演出すれば、仮想空間内として脳が認知する。

 なので、サーバーやクラウドの箇所は雲の上の出来事として、市民産業としては、わたしが、今どの位置にいるのかという事で、ある種の産業が生まれている。それは、実際の土地の上、地図上のことではないのが、安全面がインターネットに要請していることだろう。

 なので、コミュニケーションツールとして、その電気信号を利用するなら、利用者の空間内認識として、そのパートナーや、所属団体の相関スタンスが極めて重要になる。従業員同士のツールや、会社組織図の通りには運ばずに、やはり業務用は使用の不便さはこれからも、否めないであろう。

 かつて、マイクロソフトオフィスが席巻したのは、パーソナルの使用にも不服ない点であって、もし業容の仮想空間が出るとしたら、市民社会への転用を待つしかないか、ゲーム機のように利用料を払わざるを得ない。

 よって、こういう図式が成り立つ。インターネットという機械のラインは、市民社会は理解しないという事と、仮想空間の演出には利用料を取らなくてはならない。そして、現実のコミュニケーションは会話ではなく、実際の購買であるからして、チャット系のツールサービスは無料である事と、使いにくいことはこれからも否めない。

 産業の空白地点として、認識すべきことであるし、もし人がコミュニケーションをインターネットラインで完ぺきにしようとたくらんでも、実際の面談以上の効果はないのであるから、これもサービスとして完全化されない。

 インターネット産業の中で、成功したのは、マイクロソフトのオフィスであるとしか言いようがない。 
Date: 2017/08/21(月)


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